クリスマスキャロル


私はクリスマスが楽しかったことなんて一度もない

私はクリスマスが楽しかったことなんて一度もない。
だからクリスマスのように楽しいというのは理解できない。
サンタクロースが来た事も無ければ、誰かからプレゼントをもらったことも、お祝いの七面鳥を食べたことすらない。 寒く薄暗く辛い記憶しかない。

…… ゴッサムの12月はとても寒い。
凍てつくような寒さ中、暖房施設のない 孤児院では栄養失調と寒さで 子供が死んでいく。 それは毎年のことで 大きくなるにつれ私は慣れてしまったが …… 幼い頃本当につらかったのを思い出す。
仲が良かった私より小さくて幼い子が 死んで袋に詰められ 連れ去られて行く。
──お願い連れて行かないで。
サンタの伝承は国にもよるが 良い子には サンタクロースが プレゼントを 悪い子を ブラックサンタがさらっていってしまう そんな話もある。
死んで袋に詰められて 連れ去られてしまったあの子はとても良い子だった。
──どうして。
サンタクロースを信じていた幼い頃は その辛い事実に 胸が張り裂けそうだった。
どうして?
彼は良い子だったよ。
……どうして?
凍えるような寒さの中で心まで涙で凍てついていった。
サンタクロースの伝承もクリスマスの賑々しい町の様子も私たちを幸福にすることは一度もなく、 より惨めさと苦しみを与えていた。
……だからどうもこの季節は好きになれない。

だが今年のクリスマスはほんの少し例年とは違うものにしたいと思った。
誰かにプレゼントを送ったこともなければもらったこともない。 けれど今年は 自分のためにそして このアーカム精神病院にいる 囚人たちに ささやかな贈り物を送ることにしよう。 気に入ってもらえればよいが。
……特に私の隣の部屋の友人に。
季節は私が 逮捕されアーカム精神病院に収容されてから一ヶ月半ほどが過ぎ去っていた。
最初の一か月余り 私は精神鑑定や尋問や取り調べで 他の囚人達と 触れ合う機会がなかった。 だが12月に入ってからは 職業訓練 あるいはリハビリ と称しての 事務仕事を任せられるようになった。
恐らく職員の数が足りていないせいもあったのだろう。 そして12月という季節柄 、 書類仕事が増えるのは必然だったのだろう。
初めは試しに渡された書類は今では5倍の量に膨れ上がり、なおかつパソコンでの入力作業もある。 作業時間は3時間ほど。 だが私には 30分もあれば片付けられる仕事だった。 会計士という仕事上、計算処理を必要とする書類が多かったが 渡された計算機を使ったことは一度もない。 必要がなかったからだ。 私にとっては 暗算で解く方がよっぽど早かった。
退屈な事務作業を さっさと済ませてしまい 余った時間でサプライズの贈り物を制作する。
……それにしてもここのネットワークシステムは 管理が甘すぎて本当に呆れる。私の作った贈り物がうまく作動してくれると良いのだが。
3時間の作業時間を終え 食堂にて 夕食を終えて牢へと戻される。
壁を叩いて隣の牢の友人に話しかけ 眠くなるまで話し続ける。 私にとっては1日で1番幸せな時間だった。
「 おやすみエドワード」
彼の声を聞いて夢の中へとまどろんで行く。 このまま次に意識が戻るのが朝ならばどんなにいいだろう。 彼の声で目を覚まし 壁を叩いて挨拶をする。
…… だが大概はそうはならなかった。
眠りは深い意識の底へ私を引きずりこむ。 それは混沌とした辛い記憶を引き起こし 夢となって私の意識の表層へと現れる。

私の目の前に一人の男の子が立っている。
クリスマスの朝に死んで袋に詰められたあの子だ。
暗闇の中でキャンドルを片手に持ち白濁した目で私を見上げる。 濁った水晶体、 変色した肌、 筋肉はゆるみ本来の人相が崩れている。
死人である彼は私に手を差し出した。 握った手は冷たく、ぐにゃりとしていて1度死後硬直をしてから解硬したのだとわかる。 腐る直前の手だ。
「…ねぇ? どこに行くの?」
その子は何も言わない。 いや死んでいるから喋れないのか。 ふと目の前が明るく開けた。 そこには幼い私がいた。
「 ねえ、ご本読んで。エドワード」
そう言って当時の私よりさらに幼い子達から渡された本を手に取り 座り込んで読み始める。
幼い私の周りにさらに幼い子供たちが輪になって 話を聞いている。 幼い子供たちの顔。私はこの光景をよく知っている。……場面が切り替わる。 薄い毛布に寄り集まって寝る子供たち。 栄養失調で 痩せ細った子供のうち最も体力のない子が先に死んでゆく。 唖然としている私を尻目に まるでゴミでも片付けるかのように職員が 死んだ子を袋に詰める。
「「やめて! やめて! 私を責めているの!」」
私は思わず手を振り払った。 その途端キャンドルの灯は消え死人であるその子の姿は暗闇へと消えた。

「……どうした?エドワード?…また嫌な夢を見たのか」
壁を叩く音と、 彼の声でうなされていたのだと気がつく。
ダクダクと嫌な汗が流れている。
「ごめん… 起こしちゃったね」
「…… 話せそうか?」
「 うーん…… 今は…ちょっと無理かも」
「それじゃあ。 俺の話でも聞くか?」
そう言って彼は お得意のジョークを言い始める。 彼の話はいつも楽しい。 いつしか私の心は平常を取り戻し 穏やかな気持ちへと変わっていった。

……夜が明ける。
いつのまにかまどろんで再び寝ていたのだろう。
起床のベルと朝の光で目を覚ます。 午前中のアーカム内の共同作業の時間や昼食の時間に職員や囚人の様子建物の内部構造などを観察する。
──私の計画に抜かりはない。
今週に入ってから 職員の半分以上がクリスマス休暇に入るため 看守も 医者も 出勤するものは半分以下に減っている。 おそらく明日の24日にはさらに半減するだろう。 午後からの事務作業は今日で最後だが 私が贈り物の製作に費やす時間も今日で終わるだろう。 ほぼ完成しているそれは 後はタイミングを待つのみである。
私は昼食を食べながら囚人たちのおしゃべりに耳を傾ける。 目の前で私に向かってしゃべっている男はガーフィールド・リンズ と言う。 なんでも映画技師をしていたらしいが スタジオごと閉鎖になってやけくそになって放火をしたらしい。 それ以来すっかり放火が癖になって アーカムに収容されたらしい。 あまり恵まれた境遇ではないようだ。
このアーカムに収容されている大半が貧困や 薬物中毒、社会のシステムから見捨てられ 精神を病んでしまった者たちである。 そんなものたちにとって私が起こした事件は憧憬を持ってとらえられているらしく、 アーカム内で嫌がらせを受けるようなことはなかった。

図書室で午後の事務作業を終え牢に戻ろうとした時ふと一冊の本に目が留まった。

『クリスマスキャロル』
昔クリスマスの日に死んでしまったあの子に読んであげた本。 私はその本を借りて自分の牢へと持ち帰った。
意地悪なスクルージ爺さんが クリスマスイブの晩に現在・過去・未来の亡霊に出会い、心を入れ替えてその後の人生をクリスマスのように毎日楽しく過ごしたという物語だ。
かなり長い物語だったから 何日にも分けて 読み聞かせたっけ。 あの子はどんな顔をして聞いていた? 笑っていた? 真剣だった? もうよく思い出せない。

その日の晩私は彼とずいぶん長く話した。 子供の頃読んであげたその絵本の話、 少しも楽しくなかったクリスマスの話。 どう考えたってつまらない話を彼は黙って聞いてくれた。 たまに返してくれる相槌と優しい言葉がポタポタと胸に染み込んでいった。 私の人生の中で こんなふうに親身に話を聞いてくれるものなどいなかった。 …… 話したいと思う相手もいなかった。
私の人生で幸福だと思える時間がほんの少しでもあったのならそれはきっとこのアーカムに収容されてからだと思う。 彼と出会ってから。 彼の声を聞いてから。… まだ一度も彼の姿を見たことがないのだけれども。

もう夢など見たくない。 … このまま朝になればいい。 だがその日も私は意識の底の混沌とした世界へ引きずり込まれていった。
──目の前にいるのは孤児院を出てからの私だ。
日雇いの配達の仕事をしながら荷物の集積場で眠る。
惨めなばかりのゴミのような私の人生。
そんな惨めな人生の中でも私は夢を見た。 それは初めて持った人生の目標、 希望だった。 法廷会計士になりたい。 正しいことをしたい、正義になる事を。
──何度も頭を下げて事務所で下働きとして働かせてもらって、 それからなんとか溜まったお金で 自分の荷物を置いておくためのガレージを借りて… 何せ安く借りたガレージだったから前の持ち主の荷物がそのまま置いてあって… 中に古びた メッセージカードがあったっけ。 会計士になるための猛勉強をして、…… 疲れて息抜きをしたい時に メッセージカードにリドルを書くのが 唯一の楽しみだった。
けれどそれを人に見せることはなかった。 ちょっとした謎解きを人に出すことはあったけれど大概の場合 「 おかしなことを言うやつだ 」という顔で見られたからだ。
私が勉強している時 親切に試験の資料集を貸してくれたり 法律に関する本を譲ってくれたりした人もいた。 だが彼らが親切だったのは私が試験に合格するまでだ。
…… 喜んでくれるかと思ったんだ。 私を応援してくれた初めての人達だったから。
だけれど実際は 彼らは私が試験に受かるはずがないと思っていた。 正しいアルファベットの書き方すら教えてもらえず、 何の後ろ盾もない孤児の私が 試験に受かるはずなどないと── 心の中で冷笑していたのだ。
異物を見るような目で見られたのを覚えている。…… ともかく私は もうここにはいられないと思った。 私を小馬鹿にし、 自分たちが思った以上の能力があると分かると途端に 警戒し足を引っ張る そんな人達だったのだ。
私は事務所を移ることにした。 まともに部屋を借り違う環境での生活が始まる。

……けれど私はやはりずっと孤児のままだった。
SNS を始めたのは誰かに私の気持ちをわかってほしいという思いからだった。 似たような思いを抱えるものは私が思ったよりもずっと大勢いたようでフォロワーの数は いつのまにか 1000人を超えていた。

──ある時、私は 自分たちが育った孤児院のための基金が権力者によって食い物にされていたことを知った。
私は周りに話して訴えようと思った。 だが周りからは反対され、 その事は無かった事にされた。
…… 私が信じていた正義などここにはなかったのだ。 いやそんなものなどどこにもないのかもしれない。 私は再び別の事務所へと移籍した。

SNS を鍵アカにしたのはちょうどその頃だ。
自分が抱えていた不平不満をぶちまけた。 私に共感を抱いてくれる人もたくさんいたけれど 去っていった人もたくさんいた。 初めからフォローしてくれている人以外には 複雑なものへと 鍵アカを変化させてゆく。 やがて半数ほどになってその人数は落ち着いた。 私のことを理解してくれる人はほんの少しでもいい。……果たしてフォロワーの 人たちが 本当に私を理解してくれているのかはわからないけれど、少なくとも共感はしてくれている。…… そうだろう?

息ができないような閉塞感の中で私は溺れてゆく。
…苦しい……息ができない。 溺れる…誰か…助けて…
なんとか手をつき顔を持ち上げる。 水が口からも鼻からも耳からも入ってきて 気持ち悪いことこの上ない。 辺りを見回せば 洪水を起こしたあの日の光景だ。
目の前に発煙筒を松明のように手にした 大きな影が立っている。
──バットマン!!
蔑んだ目で私を見る。
「 このイカれたサイコパス! お前は何も成し遂げていない! お前のことなどすぐに世間は忘れてしまう!この クズめ!! お前はずっと孤独だ! お前はここで一人死んでいくんだ この先もずっと一人孤独に!」
…… うるさい黙れ!黙れ!黙れ黙れ黙れ!

私は跳ね起きた。 息が浅く乱れる。 冷や汗で体がひんやりと冷たい。
…… どうやら今夜は彼を起こさずに済んだようだ。
黎明の空はまだまだ薄暗く、色味はない。
息を吸い込み呼吸を整える。
過去 ・現在の亡霊 とくればその次は未来だろう。
私の未来─そんなものは想像ができない。
…… 果たしてそんなものは本当にあるのだろうか?

私は目をつぶり再びまどろんでいった。
どのみち今日は24日だ。 職員の数が足りないから 作業もなく牢から囚人が出されることもない。 おそらくベルすら鳴らないだろう。

夢の中で一人の男が立っている。 暗くて顔は見えない。 手に懐中電灯を持って牢を照らしている。
看守が2人現れて牢のキーロックを解除して中に入って行く。 中で誰かが息絶えているらしかった。 話し声だけが聞こえる。
「こいつ昔、大きなテロを起こして収容されたらしいぜ」
「ふーん、まあオツムが狂っちまってたが、おとなしかったんだけどなー。大それたことをするやつには見えなかったが」
「 11月5日に爆破事件を起こして街中を大洪水にして結構大騒ぎになったらしいぜ?」
「11月5日って確かガイ・フォークスデーか 」
「 まあガイ・フォークスと違って もう誰もその事件のことなんか覚えちゃいねえだろうがな。 それに ここに収容されてからはこいつ完全にイカれちまって 毎日壁に向かってブツクサ話しかけてたらしいぜ? 隣の牢には誰もいないってのによ!」
「 あー、そういや毎日ぶつぶつ言ってたな。 あれって昔からなんだ?」
「 収容された時かららしい。 頭は良かったらしいけど身寄りも知人友人もいなくて……考えてみればまあ気の毒なやつだよな?」
「 ここに収容されてる奴なんて大概そんなもんだろ? いいからさっさと片付けちまおうぜ」
「そうだな」
二人の会話から死んだのは私だとわかる。
結局このアーカム精神病院から出て行くことはできず一生ここで終える。 惨めな私の、惨めな人生。 このままここにいればそうなるかもしれない。

……だけれどそれよりも気になったのは…
「 彼は私の妄想だと言いたいわけだ?」
私は顔の見えない男に話しかける。

…それは私にとって最も恐ろしい想像だった。
私は未だに友人の姿を見たことがない。 彼は食堂に来ることも共同作業に参加することもない。 医者や看守に彼のことを聞いても言葉を濁し何も答えない…… 何より気になるのは彼の態度だった。
1度だけ私は彼に直接 聞いたことがあった。
「君に会いたい。 会って直接話がしたい」
そう言うと彼はしばらく沈黙した後 、
「 … うーん」
と唸った。
「… 会わない方がいいかもしれないぜ?」
「 えっ、?どうして!!」
私は面食らって 思わず壁を叩いてそういった。
彼は答えに詰まっているようだった。
しばらくしてから 自分の姿はひどく醜いからと言ったが私にはどうも納得できなかった。 …… そんなこと何の問題もないじゃないか。 醜いから私が嫌いになると? 彼はそれ以上その話をしたがらないようだった。
容姿にコンプレックスがあるのならそれを根掘り葉掘り聞くのは 失礼になるように思えた。 何より彼に嫌われたくなかった。 結局話はそれっきりだった。
……だけど、 ふと不安になる。
彼は本当に壁の向こうにいるのだろうか? 本当は誰もいないんじゃないのだろうか? 全て私の妄想で何もない壁に向かって話しかけ 聞こえるはずのない声を聞いているんじゃないだろうか?
「そんなことがあるものか !」
私は男から懐中電灯を取り上げ 、 相手の顔を照らした。
……男は私の顔をしていた。
「もういい! 消えてくれ。 私の未来は私が決める。 こんなことあるもんか、 私はこんな未来に絶対にしない!」
そうだ、 彼とともにここから出てカムバックするんだ! こんなところで何もしないまま朽ち果ててたまるものか! 惨めな私の人生。惨めな私。 そんなものは消えてしまえ!

懐中電灯を消すと辺りは暗闇に包まれた。 看守も、 もう一人の私もいない。 辺りは静寂に包まれていた。

Knock! knock!
扉を叩く音……いや違う壁を叩く音だ。
「エドワード! エドワード」
目を焼くような強い光が飛び込んでくる。
「あっ、おはよう」
「おはようじゃねーよ!もう昼近いぜ?」
彼の声にほっと胸をなでおろす。
そうだ妄想なんかじゃない。
「 このところ寝不足だったから。 それにほら今日は 起床のベルもならないし」
「 あー クリスマスイブだから、 どいつもこいつも浮かれてやがる」
「 看守達にも 家族がいるし。 休暇が明けるまでわたしたちを閉じ込めておけばいいと思ってるんだろうね?」
「 ったくよ! 俺達にも楽しませろってんだ! ターキーぐらい食わせろっての!」
彼のすねたような言い方に私は思わずくすくすと笑った。
計画がうまくいけば明日にでも彼と一緒に食べに行こう。
夜になるのが待ちどうしい。

──夜の帳が下りる。
アーカムの施設内は電気が消えて就寝の時間になっている。 壁に耳を押し当てればわずかな寝息が聞こえてくる。 どうやら彼は寝静まっているようだ。
扉が カチャリと音を立てる。 キーロックが外れた音だ。
……どうやらうまくいったようだ。
事務作業の あまり時間を利用して作った コンピューターウイルスは うまく起動したようだった。
図書室のコンピューターで作ったそれは うまく機能し アーカムのすべてのコンピューターを支配した。 いずれは 看守が気づき 妨害してくるだろうが システムの復旧は おそらく 相当な時間がかかるだろうし すべての囚人の 牢のキーロックが解除されている以上 脱走するものは 私たちだけではなくもっといるだろう。
私はドアを開け となりの 牢の前に立った。
…… もし 扉の向こうに 彼がいなかったら?
打ち消したはずの不安がふと頭を持ち上げる。
そんなバカなことなどあるものか 。 目をつぶり息を吸い込みそしてゆっくりと吐き出す。 呼吸は落ち着き脈拍は下がる。

──扉をゆっくりと押し開いた。

ベッドのシーツは盛り上がりを見せそこに人がいるのが分かる。
あぁ、やはり私の杞憂だったのだ。
──彼は確かに存在する。
心臓の鼓動が再び早まる。 彼は私を見ればどんな顔するだろう?
意を決して一歩ずつ彼に近づきシーツをはぐる。
──そしてその姿に私は息を飲んだ。

…… え? 死んでる?

爛れたケロイド状の肌は変色し、 ところどころ黒ずんでいたり、まるでミミズ腫れのように赤く腫れ上がっていたり。ガサガサに角質が剥がれ落ち その手はあかぎれのように あちらこちら裂けては血が流れている。 …… まるで 腐敗する死人のような姿。
──だがその胸は緩やかに呼吸を吐き出し、生きていることを伝えていた。

彼が会いたがらなかった理由に思い当たる。 自分の姿を醜いからと。 ……姿を見られるの嫌がったんだ。 なんだかひどく申し訳ないような気持ちになった。
この姿は病気だろうか? それとも事故? 彼が食堂や共同作業に出てこなかったのはもしかすれば体がつらかったからなのだろうか?
…… そっと彼に触れる。 暖かい。 その温もりはどこか私をほっとさせた。
肩に触れそっとゆり起こす。 触れればしっかりとしたしなやかな 筋肉がついているのが分かる 。 それは確かに 生きていることを実感させた。 筋肉の弾力と力強さは 揺り動かす 手から伝わり 彼が生きた人間であることを実感させる。
彼がゆっくりとその目を開く。 月明かりでうっすらと見える 透き通った水晶体の瞳は明るい色だということがわかる。 しっかりとした意思の宿った目だ。 真っ直ぐに私を見上げてくる。
彼は私より随分と小柄なようだった。
ふと昔、幼子が私に『ねえ、ご本読んで。エドワード』そう言ったことを思い出した。
死んでしまった子が目の前の彼の姿と重なる──庇護欲とも言うべき感情。
それは私が子供の時、守ることができなかった幼い者達への思い。
──今度こそ失いたくない。

「…… エドワードか?」
困惑した表情を浮かべる彼の口元を押さえる。
「ごめんねあんまり説明している時間はないんだ。アーカム のセキュリティシステムをダウンさせたから 全ての鍵が開いてるし、脱出経路も確認したから今すぐここから 脱走しよう」
彼はコクコクと頷いた。
「あぁ、わかった」
彼の手を握り走り出した。

その途中、彼は あちらこちらの囚人達の牢のドアを叩いて叩き起こして回った。
「 そんなことしたらすぐに気付かれてしまうよ!」
「 だからだエドワード。 逃げ出すやつが多ければ多いほど逮捕するやつはそっちに手を取られるだろう? 騒ぎが大きくなればなるほど、 俺たちには有利だぜ? この際全員で脱走するってのも悪くねえな」
騒ぎはあっという間に大きくなる。
囚人という囚人が好き勝手に動き出し あちらこちらで暴れては破壊工作をしている。 彼は手当たり次第目につくものを武器にし、 管理室に押し入り囚人の護送車の鍵を奪い、 ストーブ の 灯油をひっくり返して火をつけ 消火器をぶん投げて扉をぶち破っていた。
全く何てエネルギー だろう!
私が思ったよりもずっと激しい性格なのかもしれない。
あぁ、だけれどなんてスリリングで楽しいんだろう!
まるでジェットコースターに乗ってるような気分で 目まぐるしく変わる光景を見ていた。
彼に囚人の護送車に放り込まれて アーカムの門をぶち破る時、あちらこちらで火の手が上がっているのが見えた。 きっと放火犯のガーフィールドが火をつけて回ったに違いない。
ついでに彼が護送車を暴走させている時、 何人か人を跳ねたような気がしたが気にしている間はなかった。

護送車を乗り捨て、 別の車を奪いさらに走って逃げる。
やがて ゴッサムでも 極めて治安の悪い地区で彼は車を止めた。
いつのまにか夜明けになっていて うっすらと陽の光が射し始める。 それは私が今まで見た中で最も美しい朝焼けだった。 灰色の色のない世界がゆっくりと極彩色に色づき始める。
惨めな私の人生はもうないのだということに気がついた。

私は改めて彼のほうを見た。 透明な水晶体の奥の瞳は淡い水面の色をしている。 どこまでも透き通った湖に似ている。
彼がじっと私の方を見る。
「ふーん、 テレビで見るよりハンサムな顔してんな」
私も彼のほうをじっと見た。
「君は綺麗な目の色をしているね」
そういうと彼の目は大きく見開かれそれから笑いだした。
HAHAHAHA!HAHAHAHA!!HAHAHAHAHA!!
「 んなこと言う奴初めて見た! エドワードお前やっぱおもしれーよ」
「おかしくなんかないよ。本当のことだもの」
「 ふふふ、 ははは! それでお前これからどうする?」
「そうだねやらなきゃいけないことは沢山あるけど…… 潜伏先も考えなきゃいけないし資金調達に… 何をどうすればいいのか 考えなきゃならないことはいっぱいある。…けれど」
「けれど?」
「何か食べない?」
そう言うと彼は悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「例えば…… ターキーとか?」
「 ターキーとか」
つられて私も笑顔になる。
それから私たちは笑いあい、車を乗り捨てて歩き出した。

クリスマスが楽しかったことなんて1度もなかった。
……だけれども、そんな私はもういないのだ。
──初めて幸福なクリスマスが訪れたのだから。


end

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