5

扉を開けたリドラーが見たものは散らばるガラス片とジョーカーの姿だった。
「ジョーカーお前は何でも壊さないと気が済まないのか」
「そりゃ エディがトラップだらけにしてるからだろう。解除するより吹き飛ばす方が早いじゃん」
「玄関から入ってくる気は? 」
「ねえな!どうせあっちもトラップだらけだし」
ジョーカーに怒っても無意味なことなので 仕方なく足元のガラスだけ片付けて椅子に腰掛けた 。
「で、何の要件だ 。わざわざ俺のところに来たからには何かあったんだろう? 」
「何、ちょっとリドラー先生のお手を借りたくってね。来ればわかるさ」
こいつもここ1年は大人しくしていたし、俺が犯罪から身を引いたのは知っているはずだ。 ならば犯罪計画を持ち込んだということはないだろうが関わるとろくなことがない 、とは言え断るとややこしいことになりかねない、 そう判断したリドラーは渋々ジョーカーについていく。
郊外まで車を走らせて 廃ビルの中に入って行くと わけのわからない機械やらコードやらが 目に飛び込んできた。
「おいジョーカーなんだ?これは 」
「人間を含む全てのものを砂粒に変える機械だよ 。これでゴッサムを砂漠に変えることができる」
「………」
「…なんだよそんなことしねえよ。ジョークだよ!ジョーク! そんな事して オーディエンスまで砂に変えちまったら面白くねえし」
こいつのジョークの基準はいつもよくわからない …リドラーは少しの間、頭を抱えた。 そもそもその気になれば本当に人間を砂に変える機械ぐらい作ってしまうだろう。
「ただのホログラムマシーンだよ、総天然色の。ゴッサム中に俺のイメージした 映像を映し出せるって訳。幻覚ガスばらまくより良心的だろ」
こいつが作ってる以上ただのホログラムマシーンというわけがない 、現実と見分けがつかないほどの高性能な映像を広範囲に投影する代物だろう。
「なぜこんなものを作ってる?目的は?まず教えろ。そうじゃないと手伝うわけにはいかない」
「うん?なんでって…そりゃサプライズに決まってんだろバッツへの 」
それはもう子供の様な無邪気さでジョーカーは笑った。
バッツ ……バットマン
その名を聞いてリドラーはため息をついた。
バットマンをビックリさせたいから。 ただそれだけで街を焼き死体の山を作りタチの悪い ジョークをくり出す、それがジョーカーだ。 この一年こいつはおとなしくしていたが 、結局のところ何も変わらないというわけか。
「…なぁ、エディ手伝ってくれねえの?」
ジョーカーがリドラーの顔を覗き込む 。タチが悪いことに 妙に目が潤んで小動物のような表情である。
「俺は今更犯罪に足を突っ込むつもりはない」
そういうとジョーカーの手がスーッとリドラーの首筋に触れた。 冷たい、なだらかな、どこか作り物めいた 指先である。
…Eddie, I'm not going to do anything to threaten your life.
「…俺、エディの生活を脅かすような真似はしねえよ」
お前の言葉は一切信用ならない 、もうすでに窓ガラスを割って侵入している点で俺の生活を脅かしているだろう リドラーは 内心そう毒づきながら ジョーカーの手にそっと触れて 首筋からどかした。
「分かった。仕方がない手伝ってやる」
そう言うと パッと明るい表情をジョーカーは浮かべた。
はしゃぎながら 機械の説明をするジョーカーはまるで子供のようである。
「… お前バグ取りのためだけに俺を呼んだのか 」
プログラムを確認しながらリドラーが言った。
「夕方までには起動させたいんだよ」
「もっと早く連絡をよこせ。 日没まで 3時間10分しかないじゃないか 。時間不足でテスト起動すらできないだろう 」
「テスト起動なんか要ないんじゃないの。お前なら完璧に仕上げてくれるだろ」
「当然だ。誰だと思ってるんだ」
ジョーカーは独創的な発想をする。 ポンポンと湯水のごとく湧き出るアイディアと創造性 、それをバラバラに描き出し、つないで行く。 一見何の関係もないようなものがつながり形を作り造形物として完成される 。
その過程は見事としか言いようがないが、 バラバラのものが接続され完成されるまでその全体がわかるのはジョーカーしかいない。 ジョーカーが何かを作っている時ひどく散らかって見えるのは そのバラバラのプロットが ジョーカーにしか見えない為だろう。
ただし、その過程でちょっとした不具合が生じることがまれに ある。 …苦手な点とでも言うべきか。 ジョーカーがリドラーを頼るのは大概そんな時である。 恐らくリドラーとジョーカーはプロットの立て方が違う。
初めから精密に計算してプロットを立てていくのがリドラーである。

「…終わったぞ」
そう言うと ジョーカーは目を輝かせてこちらを覗き込んできた。 わーわーと話しながら、 機械を見るジョーカーは おもちゃで遊ぶ小さな子供のようである。
実際ジョーカーにとってこれはおもちゃなのだろう。 いや 、どんな兵器でも発明品でも彼にとってはおもちゃなのである。 …おもちゃで遊ぶ 小さな子供のジョーカー そんな言葉がぴったりとくる 。
その様子を見てリドラーは悪い気分ではなかった。
「…あれ、エディもう帰るのか 」
「お前がディスクの上に盛大に ガラスをばらまいてくれたおかげでな。片付けなきゃならないんだ」
「えー、今から起動させるのに? 」
「どうせ 街中どこにいたって見えるだろう。 むしろ街中で パニックになっているのを見るのも面白そうだしな」
「…それもそうか 」
「ガラス代も含めて請求してやるからな。今度からちゃんと玄関から入って来い」
それにあのコウモリいやブルース・ウェインがすぐ飛んでくるだろうし、 顔を見ればややこしいことになりそうだとリドラは独りごちた。
リドラー が去っていったのを見送って、ジョーカーは 服を着替え 本来そうであった姿に自身を変えて行く。リボンタイに紫の燕尾服、胸にコサージュ。
フェイクタンで象牙色に染め上げた肌とダークブラウンに染めた髪を、再びドーランとヘアースプレーで 白と緑に染めて、すーっとルージュを引く。
舞台役者のような華やかさを身にまとい 手袋をはめると、 手に ホログラムマシーンの起動スイッチ持って 屋上へと上がっていった。

さあショーの幕開けだ。

屋上には複数の投影機が設置してある。もちろん設置してあるのはこの屋上だけではない 街中の至る所に隠すように設置されている。

ホログラムのスイッチを起動すると 悪夢のようなシーンが 天空から現れる。
月が舞い落ちて砕け散り、 その破片が怪物となって舞い降りる。
無機物が動き出し、ありえないような事象が次々と起こる。
大きなものが小さく、小さなものが大きく。 突然物が現れ、 何の前触れもなく消えてしまう。
空にあるはずのないモノが現れ、 地面から生えてくるはずがないものが姿を現す。
聞いたことのない音楽と、 無意味な言語と、わけがわからない 台詞回しが あちらこちらに響き渡る。
それはまるでひっくり返したおもちゃ箱。 大昔の パニック映画と わけがわからないものたちの狂気のパレード、 あるいは 現実化したシュールリアリズム。 ありとあらゆるものを混ぜ合わせた カオスそのもの。
心の中に思い描いたものが全て形となって現れる。

夢が具現化した世界。

街中は楽しい歓声(実際は悲鳴だが)に溢れかえっていた。
さあ ブルースはどれぐらいで来るだろうか。
街中を混乱に陥れているものが ホログラムであることにすぐ気がつくだろう。 実体はない 実害もない だが人々をパニックに陥れるには十分な リアルすぎる ホログラム。
警察のパトカーが右往左往している。 パニックを起こし 銃を撃っているが 愚かにも程がある。
おやおや、あそこに見えるのはナイトウィングじゃないか。 ホログラムの 怪物に突っ込みすり抜ける。
…楽しいコメディ映画のようだ。
ビルの上からそれらを鑑賞しながら、 ジョーカーは笑い出した 。

...Huhuhu...kukuku.
HAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHA!!

「ジョーカー!!」
血相変えたブルースが 扉を開いて走ってきた。
「Good night,Darling. 思ったより遅かったじゃないの、待ちくたびれちゃったわ」
わざとらしくシナを作って そういうジョーカーに ブルースは掴みかかった。
「お前は…一体どういうつもりだ!なぜこんなことをした!! 一体何の目的があって …何を企んでいる!」
あぁ、俺の大好きなコウモリの目をしてる。
「…手を離せよ。実害は出てねーだろ。ただのホログラムだ 。別に何も企んじゃいねえよ」
「ふざけるな!だったら今すぐあれを消せ! 今すぐだ 」
ジョーカーは 笑みを浮かべた。
「せっかちだなお前は、 どうせならバットマンの姿で来て欲しかったけどな!」
ジョーカーは手元の スイッチをオフにする。

悪夢のような世界は、 満月のような光になって砕け散りその光の粒がゆっくりと舞い落ちて消えていった 。
降り注ぐ小さな光の粒が 目の前まで落ちてきた時 それが小さなハートの形をしていることにブルースは気がついた。
手を伸ばして触れようとしても実体のないそれはすり抜けて消えていってしまう。
「ジョーカー…お前」
ブルースは 掴んでいたジョーカーの胸ぐらをそっと離した。

“Happy Valentine. love you,Darling.”

「まさかと思うが…それを言うためだけにこんなことをしたのかジョーカー? 」
「まさか !それだけじゃねーぜ、 贈り物だよ」
「…この騒ぎがか?」
騒動と共に送られた愛の言葉 。私を喜ばせたかったのだろうか ?こんな騒ぎを起こして?ブルースの表情は とても複雑なものになっていた。
「何だよサプライズは嫌いか? 」
そう言ってふふっと笑うジョーカーを見て、ブルースは 嬉しいような腹立たしいような複雑な感情が胸に浮かんだ。
「できれば騒ぎは起こして欲しくないんだが。 お前の気持ちはもちろん嬉しいがな」
ジョーカーがその翡翠色の瞳でブルースを覗き込む。
「わかってねーなブルース。 これは俺からお前へのプレゼントじゃない お前から俺へのプレゼントだ」
「どういうことだ ?」
意図がわからず ブルースはジョーカーを見つめ返す。
「お互い物理的なものなら何でも用意できるだろ。 お前は何だって金で買えるし、俺だって用意しようと思ったら何だって用意できるんだぜ 。だから贈り物は心理的なものが良い 。どうしても欲しいものがあって、 お前にもそれを理解してほしいんだ」
「お前が欲しいもの?」
ジョーカーは少しの間押し黙った 。
「俺にジョーカーでいさせてくれよ」
ジョーカーの言おうとしていることが何なのか ブルースは理解できず困惑した。
ジョーカーはお前だろう、いさせてくれとはどういう意味だ?
「ブルース、俺はジョーカーだ。 ジャック・ネイピアではない。 その名前はもしかしたら俺の本名かもしれないが、偽名かもしれない。 もう昔の名前なんて思い出せないし、 自分が誰なのかどこで生まれたのか一切覚えちゃいねぇ。ウェイン邸に住むようになって お前の望むように動いて、 肌も髪も染めて 外では名前すら変えて。お願いだから…俺からジョーカーであることを取り上げないでくれ。 自分がどうしてこうなったのかは、もう覚えちゃいないし、どうして ジョークにこだわるかも自分ですら分からねぇ。 だけど俺にとって ジョークはなくてはならないものなんだ 。お前の言うことは聞くよ 、もう人は殺さない。 そう約束したもんな 。けれど俺がジョーカーであることは否定しないで欲しい。…だから、 俺がジョーカーだということを一般に公開しろ」
「私は…お前を否定したつもりなど!!」
「いや否定してるね 。偽りの姿を押し付けてくるぐらいなら、ずっとアーカムにつないでおけばよかっただろう」
「あのまま衰弱していくお前を見ていろと! それにお前は自分がしたことが分かっているのか、 髪も肌もそのままで外を歩いてみろ どれほどの人間に恨まれているのか分かっているのか? 恨みを持った者がお前を襲ってきたら お前はすぐに返り討ちにしてしまうだろう。 そんなことは許されない 」
「もう人は殺さないって言っただろ!! 」
ジョーカーの表情がみるみるこわばっていく。
「もういい…結局は信頼されないんだな。お前との関係を少しは変えていけると思ったのに」
後ろを向いて去って行こうとするジョーカーをブルース慌てて引き止めた。 だめだ、このまま行かせてしまっては 二度と彼を失ってしまう。 そう思えるだけの確信が ブルースにはあった。
「待ってくれ、お前を否定するつもりなんて少しもなかったんだ。 ただ償ってほしい 罰を受けるのではなく、 生きて償ってほしい。 お前がその気になれば きっとこの ゴッサムを良い方向に変えていける。 破壊するのではなく、 お前は何かを創造する力がとても強い。 人々を絶望の淵に追い込んだ時よりも もっともっと 強い力で 人々を幸福にできるはずだ。わかってほしい。 お前自身にも ゴッサムの人々にも。 お前が ないもののように 扱われたと思うのは当然のことだろう。 だけど分かってほしい。 もし人々が 生きて償う機会ではなく、お前から 罪に対する罰のみを求めたら。私はお前を喪いたくない」
ジョーカーはまっすぐブルースを見据えた。
「 とんだ エゴイストだな。俺に家族を殺された奴の前でも同じことが言えるのかよ。…忘れてたお前の家族を殺したんだっけ。 それなのに言う事に欠いてそれか。ゴッサムの市民がどう思っているかなんて そんなの住民投票でもしてみて聞いてみなきゃわからないじゃねーか。 結局お前は、 人々の気持ちも 俺の気持ちも 無視してるよな」
「お前を愛してるんだ 失いたくない分かってくれ」
そう言って ブルースは ジョーカーを抱きしめた。
「そういうの卑怯だぞブルース。 お前のそばにいるのは居心地がいい。 だけど お前の言うとおり生きてそれはもう俺じゃない 。俺がジョーカーだということを公表してしまえ、そして市民が望むなら死刑でも何でも受け入れるさ。正直お前が望むように生きて償うというのは正直難しいだろうと思うが。俺をジョーカーでいさせてくれ」
「…愛してるんだ」
「それじゃあ俺はその愛を胸に死んでいけるな。 最高じゃねーか」
「どうしてわかってくれない。 私にはお前が必要なんだ」
「俺にだってお前が必要だよ。 だけどお前にとって都合のいい人形として 生きながらジョーカーとして死んでいくか、ジョーカーとしてお前の愛を胸に死んでいくか、 どっちが俺にとっていいと思う? そんなの答えが出てるだろう」
ジョーカーは 死を恐れない。 死は常に身近にあるものであり 生は苦しく重々しいものである。むしろ死を救済と捉えている節がある。
「わかった。 お前がジョーカーだと一般に公開する。 その上で ゴッサム市民が どのように判断するかは市民に任せるさ 。だけど少し待ってくれ 、準備をするまでの間 」
ブルースは強くジョーカーを抱きしめた。 なんとしてでも 彼を死なすわけにはいかない。 生きて 罪を償って …そうだ共に生きていくのだ。 小さなハート型の光の粒子が降り注ぐ中でブルースはそう誓った。

ジョーカーがおこなった いかれた悪夢のようなショーは 死傷者が全く出ておらず、その大掛かりさとあまりにも摩訶不思議な内容だったために 一週間後には喜劇のように 人々に 話されることになった。
死者さえでなければジョーカーのする事は素晴らしく楽しい。
信者が絶えないのはその高いエンターテイメント性のせいだろうか。

ブルースが社内でジョーカーを働かせていることを公表したのは 1ヶ月後のことである 。
精神が安定してきている今の現状。
もう人は殺さないと誓ったこと。 彼が手掛けた 仕事の内容 。バレンタインの 悪夢のような だがそれでいてとても楽しいショー。
彼の高い創造性は ゴッサムの人々 にとって 素晴らしい力になるであろうという思い。 生きて罪を償って欲しいという自分の思い。 今までの更正したヴィランたちの 例を挙げて 話した。

結果として、ジョーカーに死刑を望む声よりも生きて償いを求める声の方が大きくなっていった。

ジョーカーをアーカムから引き取って1年その肌を髪を染める必要はもうなくなっていた。
ジョーカー と堂々と呼ぶことができるし、 彼が歩いていても 悲鳴をあげて逃げていくものはいなくなった。
… 最も有名人であるから 興味本位でジロジロと見てくるようなものはいたが。

「ジョーカー 行くぞ 」
ブルース・ウェインの隣には いつも ジョーカー がいるのだ。


end

  • Gallery