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「アルフレッド、何か音楽をかけてくれないか。それと 我が社の株価はどうなっている 。モニターに移し出してくれ。それからジョーカーが設定した 図面を3D 化して出してくれないか」
『 かしこまりました ブルース様 』
電子音が そう言う。 既に執事だった アルファベット は 故人となっておらず、 屋敷中に張り巡らされた AI システムにブルースはその名前を付けた 。
目の前のモニターいっぱいに うつし出される映像を見る
「お前な~食事の時ぐらい仕事のことから離れろよ。 うまくねえだろ」
そう言いながら呆れ顔でカクテルシュリンプを食べるジョーカーを見る 。ただ業務的に食べるのではない。 味わって食べている。 元々食に関心がない上に、精神的に参ってしまっていたからかずっと食べなかった彼の事思い出す。
美味しそうに物を食べる彼を見て ブルースはどこかしらほっとした。
「お前甲殻類好きだったんだな知らなかった」
「お前だってロブスター好きじゃねーか」
たわいもない話をする時間は とても貴重なものだった。 こんなに穏やかに二人で話をしながら過ごす日が来るとは ずっと夢にも思わなかったのだ。
「オジーの店で食べた海老の天ぷら、あれは美味かったな~」
「 明日にでも食べに行ってみるか 」
「いいな、それ 。あ、でもオジーは今頃バンクーバーじゃないか? カナダに支店出すとかで忙しいみたいだし。」
モニターに ミュージアムの3 D 画像が映し出される。 それはジョーカーが設計したものだった。
「…いまいちだな」
翡翠色の瞳が モニターを凝視する 。
「エントランスの天窓 あと10%大きくできないか それから東館入り口のは5%ほどサイズダウンしてくれ 」
『かしこまりました』
電子音が響く。 修正されて出てくる3 D 画像を見ながら、
「これで少しは 良くなったんじゃねえか?」
と、ジョーカーはつぶやいた 。
「よくできた図面だったと思ったが。 気に入らない点があったのか」
そういうブルースを見てジョーカーは笑みを浮かべる 。
「採光の具合が気に入らなかったんだ。まあ出来てからのお楽しみってことで。 建設されりゃ分かる」
それは子供がいたずらをしたような笑顔だった。

ジョーカーといえば笑う存在である。
いつも満面の笑みを浮かべて狂ったように高笑いをしながら。 それがジョーカーだ 。だがこの一年 ジョーカーは笑わなくなってしまった。
常にバットマンと共にあったジョーカーという存在は、 バットマンの引退とともに 一度は失われてしまったように思えた。 笑わない話さない表情のない彼を 、半年かけてやっと 話すように笑うように変化させていったのだ。 最も道化の笑いは 異様な狂った高笑いだったから、 今のような自然な笑顔は とても新鮮なものだった。

彼の主治医 かつての恋人、 ドクター・クインゼルと 何度も話し合い その精神分析結果を見せてもらいながら 彼との対話を重ねた日々を思い出す。 スケアクロウもといジョナサン・クレイン博士のところも何度も尋ねた 。
「…また君か」
うんざりした顔 で いつも ブルースを迎え入れる。
「心理分析結果ならば ドクターから見せてもらっていると思うがね。 どうせアーカムからのカルテも見ているだろう 。わざわざ私のところに訪ねてこなくったって。… もっとも彼の病理について理解しているのはキミだと思うが」
「ジョナサン・クレインとしてではなくスケアクロウ としての意見を聞きたい」
ある程度怒らせることを予測して ブルースが そう言うと、 クレイン博士は顔をひきつらせていた。
「…それは狂人という意味でかな?…自分は狂っていなかったとでも ?」
この男に何を言っても無駄だ。 そう思って ジョナサン・クレインは深いため息をついた。
「…まあいい。 座りたまえ。 話を聞こうじゃないか。 それで何が知りたい。彼のことなら何度でも分析結果が出ていると思うがね。共感性ゼロ、痛みに無頓着、自殺傾向あり典型的なソシオパスと思われる。 おそらくは笑う以外の感情が全て欠落してしまっている。 それゆえすべての感情表現が笑うことに固執しており、 笑いを引き起こす事象つまりジョークに対して 異常な強迫観念が見られる。 彼の過去の話は 毎回話す内容が違っており、 全てその場の即興の物語 と思われる。 真実と思われるものが混入していたとしても その演技力の高さから見分けることは困難であり、 そのため正確な精神分析が難しい。 出自・年齢・本名・全てにおいて不明。 記憶の有無も不明。 解離性同一症の可能性もあるが、その演技力の高さゆえに判別は不可能。…他に聞きたいことは?」
「もし、その唯一の感情表現、笑うことがなくなれば 彼はどうなる?」
「ああ…つまり彼が笑わなくなったということか。」
「笑わないし、話さなくなってしまって… すっかり衰弱して …私にも、もうどうしていいのやら。」
クレインは深くため息をついた。まったくこの男は何年あの道化と付き合ってきたのだ。 あの男が目を輝かせて饒舌に喋り、 くだらないジョークの種を振りまいてきたのは誰のためだ?…鈍いにも程がある。
「彼が饒舌に話す相手なら君も思い当たると思うがね?」
「 話す相手だって?」
「 分かっているだろう、バットマンだよ 」
「…しかし…私はもう」
「 君は自分のこだわりで彼を殺したいのかね」
ブルースは困惑した顔で首を振った 。
「何もバットマンにならなくとも、君の口から バットマンだった時の事を話せば 彼は反応するんじゃないのか?」
クレイン博士がそう言うとブルースはハッとした顔で前を見た。礼を言って帰っていくブルースを うんざりした気持ちで ジョナサン・クレインは見送った。
…そうだ、 書きかけの論文を仕上げてしまおう。それからジャパニーズホラーを 3本ほど見て、次の講演会の原稿も仕上げてしまわねば。 道化とコウモリに構っている場合じゃない 。私は忙しいんだ。 そう自分に言い聞かせて、もう二度とブルースが来ないことを祈りながら。

ブルースはジョーカーと対話を重ねた、何度も何度も。 そうして少しずつ少しずつ 彼は回復していったのである。


end

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