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「ジョーカー …お前設計までできたんだな」
「うん…まあな! そりゃそれぐらいできるぜ!! なんたって ショーの準備をするのに 建物の構造ぐらいわかってなきゃ無理だろ?派手に吹っ飛ばしたけりゃ どこに花火を設置するか考えなきゃならねえしよ」
幾分物騒な言葉が入るジョーカーの方を見て、 ため息を一つつく。 その思考さえなければ 彼ほど有能な者はいないだろうに。
彼をウェイン邸に引き取って半年が経つ。 彼の適正を見るためにウェイン・エンタープライズで 研修と称して、あちらこちらの部門 で彼を働かせている。 彼の能力は折り紙つきで どの部署からも 彼を戻して欲しいと申し込みがあるのだ。
当然ながらジョーカーであることは伏せているので 知れば反応は全く変わってくるだろうが 。
ブルースウェインは再び設計図を見た。それは細部まで完璧なもので 人の動線 安全性 そしてデザイン性 申し分のないものだった 。
「ならばこれも頼む」
そう言ってジョーカーの前に 書類の束をばさりとおいた 。
「ミュージアムか…で、これはいつまでに 仕上げればいいんだ?」
「今日中にだ、お前なら出来るだろう?」
「はぁ!!この規模の建物を今日中に!?ブルース…お前鬼かよ」
苦虫のを噛み潰したような表情を浮かべる彼を見て ブルースはその表情が数ヶ月前とは全く違うものになっていたことに少し安心感を覚えた。もっともジョーカーはその 顔を見て違うことを感じたらしく ぶつぶつと文句を言っている。
「お前んとこの従業員ほんと可哀想だよな 鬼・鬼畜 !最低だよ!!ブルース・ウェインは」

…話は1年ほど前に戻る。
バットマンは引退した。
記者会見を開き、 自分がブルースウェインであること、バットマンとして活動してきたこと、 それらを全部打ち明けて。
…なぜそうしたか?

リドラーはとっくに引退して今は警察と協力関係にあった。その方が彼にとって 謎と向き合える時間が増えてむしろ幸福なのだろう。 探偵事務所をしながら忙しくしている。
ペンギンはアイスバーグ・ラウンジが繁盛して忙しい。 もともと彼はビジネスマフィアだから、治安さえ良くなれば 裏の仕事をする必要はなかったのだろう。
ポイズン・アイビーは植物学者兼環境活動家として、 ハーレイクインは精神科医に戻った。
ラーズはその哲学・考え方をほんの少しだけ、 変化させ 今はヒーローといった立ち位置にいる。
スケアクロウは再び大学教授に戻り、恐怖心を研究するには毒ガスばらまくよりお化け屋敷でもやるほうが効率的だと思ったのか 夏場になれば彼が監修したお化け屋敷が繁盛している。
その他のディランたちもそれぞれに引退して、町は平和になっていった 。
随分と長い年月がかかったが 、バットマン、ブルース・ウェインのやってきたことは実りを迎えつつあった。
マフィアは身をひそめ、かつての陰鬱な街は 少しずつだが 豊かさを保つようになってきた。 ほんの少しずつ、少しずつではあったが。それでも確実にバットマンの してきたことは ゴッサムを変えつつあったのだ。

息子たちはみんな成長して独立していった。
アルフレッドはもう天国に行っておらず、 屋敷の中は AI で自動化されていった。
誰もいなくなった屋敷でポツリ 考えるのは道化のことばかりである。

ジョーカーはどうだったか?
その不安定な精神は たまに暴発することがあるが、 少なくともここ数年は 世界を揺るがすほどの 大事件を起こしていない。… とはいっても相変わらずで やることやることなすことめちゃくちゃで 動くたびに 死ぬ者が続出した。
バットマンとジョーカー。
光と闇 、コウモリと道化、 ひとつの合わせ鏡のように語られる。 私自身が狂気を捨てれば 彼もまた捨ててくれるだろうか? ジョーカーはバットマンに追いかけてもらいたいために人を殺して歩く、 バットマンがいなくなればジョーカーもまたいなくなる。 そんな風に言うものは少なくない。 狂気をすてて、ただのブルースウェインに戻ってしまえば 彼もまた ジョーカーではなくなるのだろうか? もしそうなら嬉しいが。

…もういい加減潮時かもしれない。
息子達はそれぞれヒーローとして活躍している。 ジムはとっくに引退したし、今はもう自分一人だ。

引退会見から1ヶ月程 記者に追い回されて身動きの取れない日が続いた。 それらが落ち着いた頃、ジョーカーが自首してきたというニュースが流れた。
…彼もまた狂気を降りてくれたのだろうか? またひと月ほど間を開けて ブルースはジョーカーに会いに行った。
食事も取らず痩せ細り虚ろな目は焦点も合っておらず、 話しかけても何の応答もない。あまりの痛ましさに 思わず目を覆った記憶が甦る。

このままではいけない。
彼を ウェイン邸に引き取るために ありとあらゆる手を尽くした。 保護観察と屋敷においてアーカムと同じ専門的な治療を施すという条件で何とか彼を引き取ることができるよう 手続きに至るには 3ヶ月の時間を要したのだ 。

ハーヴィー・デントかつてのトゥーフェイス 彼が協力してくれたおかげで なんとかそこまでこぎつけたのだ 。 彼は再び 司法 の世界に戻っていた。
トゥーフェイスの解離性人格障害は 数年前に完治した。 異なる二つの人格は再び統合され 、そのどちらの人格もお互いを打ち消すことなく上手く混じり合っている。
彼にとって消すことのできない過去、 それは受け入れてもう嫌なものでも何でもなかった。 そのため外見は半分ただれたままになっている。
昔の友人同士に戻ることができて ブルースはどんなに嬉しかったことか。 そしてその友が協力してくれたこと。

そこからさらにジョーカーを迎え入れるまで 1ヶ月を要した。
話しかけても何の反応もなく、食事も取らない。
そんな状況を何とかしたいのにどうすることもできず、 ある時かっとなったブルースは ジョーカー押さえつけて 口に無理やりパンを押し込んだ。
「食べろ。さもなければ喉を切り裂いて無理やり押し込むぞ」
そう怒鳴りつけてハッと我に返る。 ジョーカーの喉には自分の手形がはっきりと残っていた。
うんざりする。自己嫌悪に陥って 苦しくて情けなくなる。
結局暴力でしか相手を従えさせることができないじゃないか。
…こんなことをしたかったわけじゃない。
ずっと彼との関係はこんな風だった。
彼の悪事をやめさせたい。 人を殺して歩くそのゆがんだ精神を治したい。 …助けたい。
そう思っているのに 少しもうまくいかない。

だがそれから ほんの少しずつではあるが ジョーカーは食事をするようになった。

相変わらず 話をしない。
虚ろな目でバットケイブにいる。 ケイブには入り込めないようにしているのに、 どんなセキュリティも彼の前では 無駄なようである。 その気になればウエイン邸からだってすぐにいなくなってしまうだろう。
だがそうせず 自分のそばにいてくれることをブルースは嬉しく思った。
自分から話しかけ関係を築いていくのは 正直苦手である。 それでもジョーカーが話し出さない以上 、話しかけるのは自分の方からだ。

ジョーカーが昔言っていた言葉を思い出す。
自分には過去がないのだと、 記憶が ちぎれたショートフィルムのような 細切れの断片になって 自分の心は空っぽになってしまったんだと。
そこにバットマンとの記憶がポツリポツリと雨のように降って、 それはだんだん激しくやがって空っぽだった自分の器をなみなみと満たしてくれたのだと。 今のジョーカーは空っぽだ。まるで何もない 空虚そのものだ。
どうすれば彼の心を満たしてあげられるだろうか?
ぽつりぽつりと ブルースは昔話を始めた。
彼と初めて出会った日のこと、 自分と両親の話、 彼が事件を起こした時の気持ち、 何度も何度も彼と渡り合った記憶。
話をしている間 、ジョーカーはまっすぐに こっちを見てきた。 その目が 爛々と輝いて… だが話が終われば 視線が遠のいてゆく。 彼の心が満たされるように、そしてどうか自分の気持ちをわかってほしい。
ポツリポツリと ジョーカーから返事が返ってくるようになる。 それはだんだんと増えて行き、 やがてはきちんとした会話が成り立つようになってきた。
痩せ細っていた身体はいくらか肉付きが戻り、きちんと会話が成り立つようになった頃合いを見計らって、 ブルースは ジョーカーを外に出すことを試みることにした。
初めは恐る恐る。 …だが外でトラブルを起こしている様子もなく 、それにいくらか安堵をも覚えたブルースは 思い切って ウェインエンタープライズの 研修と称して働かせてみることを試みた。 肌をフェイクタンで染めて、 髪をダークブラウンに 染め上げて、 それだけでも彼がジョーカーだと見破る者はいないだろう。
ーそして現在に至るのである。

「ほらよこれでいいだろ」
ディナーの前までに設計を仕上げて持ってきたジョーカーから書類を受け取る。
「なんだ散々文句を言っていたのにできるじゃないか」
「 お前ほんと人使い荒いよな。 全く お前の下で働いている従業員が気の毒で仕方がねぇぜ」
深いため息をつく 彼を後ろから抱きしる。 
振り向かせて歯をなぞる様にキスをすれば 頬に赤みがさして 困ったような 表情をする。
「あー、ブルース?」
「そうだ、無理を言ったかな 。仕上げてくれてありがとうジョーカー。 ディナーにしよう」
そう言って彼をテーブルまでエスコートする。

どうかこの些細な幸せがずっと続きますように。
食事の前の祈りにブルースはそう付け足した。


end

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